昭和42年2月13日 夜の御理解
お道の信心を頂かせて頂いて、色々、有難いことも分からせて頂かなければならんと言う事と同時に、お道の信心は、ちょうど、ふぐの珍味を頂く様なものと仰るように、ふぐの珍味を頂くような、もう、天下一品的な味わいというのがあるのですね。けれども一つ間違うと生命に係るような事にもなるぞと仰る。一つ間違うと言うのは、どういう様な事だろうか、というような事も、まあいうならば、何と申しましょうかね。
聞きようじゃ脅迫じみて聞こえるかもしれませんけれど、やっぱり知っておかなければいけんですね、お互いが。一つ間違うとというところ。特に私は、もう毎日、本当にこのお参りをさせて頂いて、いよいよ神様なしには生きられないと。特に神様のご寵愛を受けておる自分というものが自覚されてくる。例えば、特に私共のように、これはもう特別に神様のご寵愛を受けておると思うのです。
ですからその、そういう、例えば私共のように、特別に神様のご寵愛を受けておるというような者が、一つ、間違うと、それこそ生命にも関わるような事にもなる。これはあの、四神様の御時代に、中村駒之助という東京歌舞伎の、やっぱり、名代役者なんですね、一流の役者ではないけれども、まあ、名代の役者でございました。私は、非常にお道の信心によっておかげを受けましてね。
そして非常にその金光様、二代金光様、四神様のご寵愛を受けたんですね。そして、住いを御本部のほうへ移されて、そしてもう、俳優家業を辞められてから御用に専念された。もう、それこそ、もうどこへ行くでも岡本と、どこへ行くでも岡本と、とにかく四神様の書き残された御教えなんかは、岡本駒之助さんの家に、一番あったと言われる位にそれを見ても、どのくらいご寵愛を受けたお方かという事が分かるですね。
ところがその、四神様が亡くなられてからですね、その、相手は次は三代金光様、いわゆる、ご幼少でしたでございますから、その、あれだけ、熱心な信心をしておった人が、急にその信心が疎かになられた。もちろん、御取立て頂いたお道の教師にでも、なるばっかりだったけれども、何かと、やはりもう、お年もとられたし、今さら、お道の教師もと、大体布教地までプサンのプサンに決まっておった。
朝鮮に。それでも、なにやかや、その、自分の不自由なことはない。それこそ、桂先生の御言葉をもってすると、もうそれこそ、紫檀黒檀の長火鉢の前に、茶箪笥の前に座って、安気安穏に暮らせるほどのおかげを受けておった。ところがその、桂先生がある時に、御本部参拝の時にですね、その駒之助さんのところの前を通られたところが、時に、「岡本駒之助徳ぎれ」という御言葉を頂かれた。
それで早速そこにおられましてからね、桂先生も四神様の特別のご寵愛を受けられた方。ですから、そのご寵愛を受けられた者同士でお心安くもあるから、岡本さんとにかく四神様が御隠れになられて、あんた早うお道の教師になられてから布教にでも出なさらなければいけませんよ、実は今あんたのところの前を通らせて頂いたら、こう言う様な神様の、四神様の御言葉をお声で。
四神様のお声で駒之助徳ぎれと言う様なことを頂いたから、ところがそのご自分じゃ、それこそ安気安穏の生活をしておられ、健康を頂いておられるから、桂先生そう仰ったけれども、さほどにそれを気に留められなかった。その時にどうしてもその気になられんもんですから、あの三代金光様ですね、あの金光様世の中には後ろからそれこそ、山津波が追いかけてくるように押しかけてくるように。
もう家も人も一緒に飲み込んでしまう様な、大難がかかってきよりながらです、それを知らぬ氏子がおりますな、というて、お届けされたら、金光様が仰ったそうですね。「ああ、あの氏子か、あれは駄目じゃ」と仰ったそうです。誰とも言わなかった。私は、もうこうなったらお終いだと思うですね。それから、東京にある、取引銀行が倒産したんですね。それから間もなく。
それから慌てられてから、そして、道の教師になられてから、プサンに布教という時になってから、何か次から次と障害が起こって、とうとう布教に出られなくなって、それから間もなく亡くなられた。特にそうしてご寵愛でも、自分では、はぁ自分くらい神様から可愛がられておる者はないなあと、思われるくらいな者なら、尚更のこと、そこんところをですね、心がけなければいけませんですね。
これはね、やっぱ、知っておかなければいけません。椛目でもそういう例はいくらでもございましたですね。上滝さんなんかは、その良い例でしたです。いくら言うてもいくら言うても、もう、本当に、そげなことじゃおかげを落とすよ、それこそ、もう一年間くらい、私は言い続けてきたんです。けども、言う事を聞かなかった。さあ、いよいよの時にはもう、ああもすうも言う暇がなかったのですきんね。
上滝さんの場合は。もうそれこそ、健康そのものでです。西鉄に復職が出来て、そうでしたでしょうが。もう一つの例は、三橋先生でしたですね。私の信心は、もう久留米では要らんというようなことを言い出したんです。もうそういう事を言い出した途端でしたよ。体ががたがたと崩れるように弱ったのは、三橋先生が。これは、私は三橋先生やら、上滝さんの御霊様に対してから、本当に相すまんと思いますけれども。
それもやっぱり、後々の者がおかげを頂く為には、やはりそういうことが、椛目の昔はあったと、これからの椛目の人達が知っておかなければならんから、こうして私が話しに残しておくです。今日は、私、ある方のお願いをさせてもらいよった。理由にもならない理由で、いわばご無礼する。それが特別ね、確かに無い生命を頂き、無い寿命を頂いておるというような人達です。
特にこの神様の特別のごちょう愛を受けるのは。と言うのは、どういう事かと言うとですね、屑の子ほど可愛いと仰る。あれだろうと思いますね。もう神が手を離したらもう、終いになる。それでも神様と言うて来るから、神様が、こう、特別のごちょう愛を下さる。ですから、それに、向こうてさえ行きゃ、徳も受け、おかげも受けられるのだから、人なんです、特別に。
そしたらですね私その事をその方の事をお願いさせて頂きよりましたらですね、あの田植えの時にですね、昔はあの今はどうか知りませんけれども、こうしょろ縄でこう田ば植える時にあの赤い紐をつけて、ずうっと引っ張るのが御座いましょうが。車にこうこしてからあれは何ち言うでしょうか、あの親植えをする時にねこうするでしょう。田植え綱田植え綱を頂くんですよ。
そしてから御理解にですね田植えの準備と仰るです。田植えのお知らせは亡くなることです。自分で自分の寿命を、田植えをする様な準備をしよるようなものだと仰る。もう私は今日は本当にその事からですね、胸がドキドキしてから、あの今日も大払いも多きにあげられなかったのですけれども、あの十三日会なんかの時なんかは、私はあそこへ三十分余りは、ものが言われなかったですしばらく。
これはね、複雑な神様のご寵愛を受けなければ、この人は立っていかない人なんです。実を言うたら。そういう事があるです。信心の世界には。ですから私は、本当に椛目では、次々と、そうした、本当におかげを受けた手本も、見本もあるし、また、そげな風であんたは 見よってごらん、おかげを落とす、おかげを落とす見本になるよち、私が、上滝さんなんかに言いよりましたが。本当に先生が、あげなこつばっかり言うちからちいうごたる風で、全然聞こうとしなかったです。
ですから、そういう見本がありますから、これからの椛目の上にも、また本当に、この人こそ、無い生命を助かって、特に神様があの、ご寵愛の手を差し伸べられて、そして、その、でなからなければ出来ない御用をさせようとこうなさっておられる、そのような働きのある事でございますから。お互いが、そこんところをよう分からせて頂いてですね、めぐりが深ければ深いだけ、神様には、いよいよ接近させてもらい、近づかせて貰うて、お徳を頂きぬけば、信心を頂きぬけばです。
大体言うたら、この世におれないほどに、徳を切らしておる人達なんですから。もう神様だから、手をちょっと離しなさったら終いなんです。そういうようなことがございます。どうぞ一つ、そういう、四神様と岡本駒之助さんのお話は、そういう意味で、徳切れという事については、非常に有名なお話でございますけれども。椛目でも、やはり昨日の夕べの御理解にですね、宮崎さんが言われた、なんとかと言いましたね、変化に富むという意味のことを言われましたですね。なんでしたね、あれは。
バラエティにね、私ああ言う言葉すぐ忘れるけど。バラエティに富んでるというがね、そういうようなことも素晴らしいバラエティに富んだことでしょうが。もう劇的ですもん実に。上滝さんのお国替えなんか、三橋先生なんかのお国替えなんかも、実に劇的でしたよね。ですからそれも、良い意味合いにおいての変化に富むのでなからなければ、あまりにも信心しよって酷な感じがするでしょうが。おかげを頂かなければなりませんよね。
どうぞ。